荒井朋子

私は、介護の仕事をはじめて4年になります。元々、福祉分野の仕事には興味があり、初任者研修を受けた時に、『介護過程』の授業に興味を持ち、多職種連携、チームケアという考えに共感し、この仕事を志しました。
私には、身内や周囲に高齢の方がいません。だから、「高齢者の方は気難しい人が多い」という変な先入観があり、どう接していいのか全く想像がつかなかったので、まずは、高齢者の方とコミュニケーションを取れるようにしようと思い、職場を選びました。

そこの施設では、ほとんどの方が、室内においては、ほぼお一人で生活できる方ばかりでしたが、外出をしたりするのは難しいので、近くのスーパーにお連れしたりすることがあります。自炊する方は、ご自分で献立を考えながら、食材を買い込み、自炊しない方は、好きな和菓子を買ったり、施設の食事ではほとんど出ない、お寿司やお刺身を買ったり、それぞれ買物を楽しまれます。中には、同じものをたくさん買ってしまわれたり、持病の関係で、塩分等の制限がある方もいたので、声掛けしながら、一緒に買物をしたりします。こういう時、声掛けするのも結構大変だったりもします。「そうね」と応じてくださる方もいれば、「私の身体なんだから、あんたには関係ないでしょ!」と言われる方もいます。「これぐらいいいかな…」と思う時もありますが、病気が悪化することを考えて、根気よく説明し、渋々了承いただくこともしばしばです。

現在は、別の施設に勤めていますが、このことに限らず、「制限」との戦いは結構あります。けがをされて、安静の指示が医者から出ているのに歩こうとされる方、歩行が不安定なため、お一人での外出はご遠慮いただくようお願いしていても、外出してしまう方…。「食べたい」「歩きたい」「出かけたい」というご本人の意思を、「制限」しなければいけない、その方の身体のことを思ってやってはいるものの、その方の「気持ち」には寄り添ってあげられているのかな…といつも葛藤しています。
高齢者の方が、いつまでも、自分らしく、楽しく、明るく生活できて、人生を謳歌できるように、支えていきたい!と心では強く思っているのですが、なかなか思うような対応ができないなぁと思う今日この頃です。でも、少しずつ成長して、一人前の「ヘルプマン」に早くなりたいと思っています。

遠田悟

自分が介護福祉士を目指すきっかけをくれた話。

母親がグループホームに勤務していた為、遅番などで帰りが遅い時は施設に行き、おじいちゃんやおばあちゃん達と楽しく話をしながら母親が仕事を終わるのを待っていた。

ある日、いつものようにグループホームに行き母親が終わるのを待っていると、一人のおばあちゃんに呼ばれた。 『僕、この本の栞を見てごらん』

そこには四つ葉のクローバーの栞が挟まっていた。
『この四つ葉のクローバーは昔旦那さんがデートの時に探してくれて、それを栞にしてくれたの。かれこれ60年前になるかな』
なんて昔の思い出話を楽しそうにしながら話してくれた。

ある日おばあちゃんの大切にしていた四つ葉のクローバーの栞がなくなってしまった。
本人もどこに行ったかもわからない。
部屋を探してもどこにもない。
施設の中を探してもない。
もちろん自分も一緒に探したが見当たらない。
でも見つからなかった。

いつもの様に自分がグループホームに行くと、おばあちゃんはまだ落ち込んでいた。

自分はどうすればおばあちゃんが元気になるかと一生懸命考えた。
そして同じ四つ葉のクローバーの栞を作ってプレゼントすればいいんじゃないかそう思った。
でもなかなか四つ葉のクローバーはなかなか見つからない。
その間もおばあちゃんは落ち込んでいた。
でも自分が行くと笑顔を見せてくれた。
早く喜ばせてあげたいそう思って、学校の帰り道や遊びに行った時にも探していた。

探し始めて方一ヶ月が経った頃、やっと四つ葉のクローバーが、見つかった。
そして自分は四つ葉のクローバーで栞を作り、施設に持って行った。

部屋にいたおばあちゃんに『これプレゼント』と言い四つ葉のクローバー栞を手渡した。
するとおばあちゃんは急に立ち上がり自分を抱きしめてくれた。
そして
『ありがとうね。こんなに嬉しい事はないよ』
『貴方のお母さんから一生懸命探してる事は聞いていたの。その事だけ凄く嬉しかった。そして栞まで作ってくれて本当にありがとう』
『お父さんとの思い出はあの栞に沢山詰まっていた』
『でももうその思い出は帰ってこない』
『でもこの先は貴方が作ってくれた栞と新しい思い出をつくっていくわ』
『ありがとう』

それの言葉を聞いた自分は心にぽっと火が灯ったように身体中が熱くなっていた。

人に感謝される事がこんなに嬉しい。
ありがとうってこんなに幸せになる言葉なのか。
自分も介護の仕事をしたい。
そう思って8年後ヘルパー二級の資格をとり母親が働いていた職場で介護職として働いた。

よく介護職の人が利用者に感謝される事がやりがいです。
なんて言う人がいるけど、感謝しなければいけないのはこっちだと思う。
最後の時間を一緒に過ごさせてくれてありがとう。
沢山の事を教えてくれてありがと。
沢山の事を気づかせてくれてありがとう。
沢山勉強させてくれてありがとう。
沢山の笑顔をくれてありがとう。
ありがとうを言ってもらえるのが嬉しい介護職ではなく、自分からありがとうが言える介護職になりたい。

青木 愛

「介護なめんな!!」

介護の仕事に携わって4年、先日初めてご利用者に言われた言葉です。
末期がん独居男性のターミナルケアが開始され、朝昼夕の1日3回、排泄介助と買い物代行、洗濯代行などの家事支援のサービスです。男性には身寄りがなく、6畳一間に一人暮らし。在宅での看取りを希望されているので、万が一の事も視野に入れながらの緩やかなサービス、、、、そんな心穏やかなものではありませんでした。男性の気性は荒く、「おい!何しに来た!とっとと(オムツ)代えてくれよ!何やってんだよ!」寝たきりながらも基本的に戦闘態勢。
ある時、訪問時間の伝達ミスにより通常より1時間遅く入室してしまった際には、「何時だと思ってるんだ!!にこにこしやがって。介護なめるな!!!」怒号が飛びました。私は介護の仕事に対し真面目にやってきているし、そこまであなたに言われる所以はない、なんだこのわがままじじい!と内心思ったりもしていました。
しかし、排泄のサービス開始直後、オムツ、ズボンを通過し布団までしかも背中の方まで失禁していた事を知ることに。冷たく気持ち悪い状態で我慢させてしまったことを思うと、大変申し訳ないことをしたと思う気持ちと共に、言い方はどうであれ、たかが1時間されど1時間、彼にとっては布団の上が生活のすべて、失禁のリスクに対する考え方は甘かったと「介護なめんな」が改めて胸に突き刺さりました。そして先日の朝、お一人でひっそりと旅立たれました。
私個人として彼に出来たことは数回の排泄介助だけでしたが、介護の仕事はその人の清潔保持や食事などの生活援助だけでなく、本当に求めることの手助けをすることです。
介護への向き合い方を今一度正してくれたことに感謝です。